馬込・長遠寺

 前回の記事では高橋松亭の版画とその現状について書いた。ここで取り上げたいのは、八幡社の別当であった長遠寺である。「新編武蔵風土記稿」の馬込村の項では、村の鎮守たる「〔馬込〕八幡社」の別当として「長遠寺」が挙げられている。風土記稿には「客殿」が「六間四尺餘ニ八間半」、「門」が「客殿ノ正面ニアリ海岳山ノ三字ヲ扁ス」としてある。当寺については挿絵もなく詳細は分からないが、現在の境内の様子を見ても江戸時代同様と思しき雰囲気であり、茅葺型銅板屋根の客殿と山門は見事である。

長遠寺・本堂(正面から)

 松亭の版画では八幡神社の社叢が描かれているが、長遠寺の境内は神社の奥側、社叢に隠れる位置にある。今日では八幡神社長遠寺の間にはコンクリート製の塀が築かれており、両境内を全体として眺めたときに現れる神仏習合の趣と、近代におけるその分離の痕跡が可視化されているように思われてならない。

 神仏分離の実施は地域差があることが知られるが、23区内のさほど著名とは言えないところで神仏習合の名残を明らかに留めている寺社があることには深い感動を覚え、また非常に興味深く思われる。

 ただ一点気になることとして、山門前の駐車場が惜しいように思われる。1979年までの航空写真を見ると、門の前から小学校前の通りまで、樹影が確認できる。木立の参道というのは一層の情趣があったのではないか、という気がする。1984年の航空写真では自動車が南北方向に停まっているように見え、1980年ごろ変化したのであろうか。

長遠寺山門

 昨夏以来二度にわたって参拝する機会があり、その度にこの本堂をどうにかスケッチできないか、と考えているのだが、うまく画角を見つけられぬままにいる。先日湘南新宿ラインに乗車していたところ、西大井―武蔵小杉間の東側の車窓から段丘上の本堂の大屋根が一瞬裏側から見えることに気づいた。車窓から、というわけにはいかないが、馬込から池上にかけての地形的特徴と歴史ある本堂とをあわせて描く、というのを当面の目標にできれば、と考えている。

長遠寺・本堂(馬込八幡の本殿裏側から)