馬込の風景

 新版画家の高橋松亭(1871~1945)に「馬込」という作品がある(1922年)。ちょうど今の季節、あるいはもう少し後の4月初~中旬の情景を描いた作品であり、春の雨の中に菜の花畑と一本の桜とが浮かび上がる趣深い構図である。私は昨夏、茅ヶ崎市美術館の新版画展でこの作品に初めて出会った。春の雨の中、モノトーンな基調の世界で、菜の花と桜の淡く落ち着いた、それでいて彩のある色調が引き立てる盛春の幻想的な景色。さらにそのような景色と、その中にあって牛を引きゆく人物がもつ日常性とのコントラストに言い得ぬ感動を覚えた。「第三者の地位」(『草枕』)に立って表現し得た作品、ということもできるのかもしれない。先月の川瀬巴水・松亭の作品展(大田区郷土博物館)でこの絵を再び直接目にする機会を得、大いに喜んだところである。

高橋松亭「馬込」(パブリックドメイン美術館サイトより。URLは下記)

 素材となった場所は今日大森から荏原町へのバス通り、馬込小学校と馬込八幡神社とが向かい合うところで、南側から眺めたものと思われる。およそ今日の情景からは名残を探すことも難しい風景である。画中に描かれたもので今日辿り得るよすがは、八幡神社の鳥居ではなかろうか。今日では木造鳥居であるが、位置は同じと思われる。なお、「新編武蔵風土記稿」の馬込村の項では「八幡社」について、本殿―拝殿の「前ニ石ノ鳥居ヲタツ」と見えており、画中の鳥居はこれと同じものかもしれない。

 鳥居と道路を挟んで向かい合う茅葺の建物群が今日の馬込小学校、当時の「馬込尋常小学校」である。校地は同じであるが、建て替えられており、今日もちろんこの作品発表当時の校舎の面影はない。手元ですぐ見つけられるようなものしか参照していないが、1945年5月24日の空襲で部分的に焼失したということもあったようである。なお、小学校のすぐ南側の民家にかつての校舎の時計台が移築されており、公道からも見ることができる。今では時計こそ止まっているものの、薄緑色の明るくモダンな外観を呈している。1925年築というから、この絵の描かれた後、関東大震災の直後に建てられたものである。

 松亭の作品が発表された後の時期、同地域は大震災、さらには戦災に遭っており、さらにその後都市化が進展し、その面影の追跡は今日ではもちろん難しい。上で述べた時計台の建築は、松亭が描いた時とおそらく3年ほどしか変わらないが、その3年は茅葺屋根から西洋建築への変貌を見た3年だった。この対比は、近代そして現代へと移り行く大きな変化の象徴と言えるだろう。

 しかし今日でも、この地域では東側に万福寺もあり、恐らく戦前からのものと思われる民家が点在するなど、かつての馬込村の雰囲気はどのようなものだったのだろうか、と想像する手がかりはあるように思う。巴水や松亭の作品はもちろん、郷土博物館の模型や古写真もそのような想像力を十二分にかきたててくれる。

 21世紀が20余年すぎた今日、冒頭に掲げた松亭の絵に見られるような、いわば牧歌的「近郊」がそのままの形で残っている場所はとりわけ23区内にはほとんど存在しない。だがそれゆえにこそ、その名残を探し求めて出かけ、何らかのものを見つける(少なくとも自分ではそう思い込む)瞬間が絶妙なのだと思う。これからそのような痕跡探しの試みについて、書き連ねられたらと思う。

 

参照:

・『新編武蔵風土記稿』(巻之四十六、荏原郡ノ八)

大田区立馬込小学校沿革(大田区HP:https://www.ota-school.ed.jp/magome-es/guide/history.html(2023年3月13日アクセス))

・「旧馬込小学校の時計台」(大田区HP:

https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/rekishi/magome/magomeshou_tokeidai.html(2023年3月13日アクセス))

・「東京都の空襲被害」(Yahoo Japan「未来に残す戦争の記憶」:https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/tokyo/(2023年3月13日アクセス))

・高橋松亭「馬込」(パブリックドメイン美術館:https://600dpi.net/takahashi-shotei-0004340/(2023年3月13日アクセス))